2013年4月14日、10年にわたる改修工事を終えて、アムステルダム国立美術館が再オープンしました。先立つ13日には、半月後に退位することになるベアトリクス女王を招いての盛大なセレモニーが行われました。女王の手で黄金の鍵が回され、打ちあがる花火とともに、美術館が再オープンするという演出です。本館からはオランダのシンボルカラーであるオレンジの煙が勢いよく噴き出し、観衆を驚かせました。
2003年から10年もの間、工事現場と化した美術館を見守ってきたアムステルダム市民にとって、今春の再オープンは待望のイベントでした。再オープンからわずか4ヶ月半で、来館者数は100万人を数えています。
>>オープニングセレモニーの動画(外部リンク)
現代に生まれ変わった美術館
アムステルダム国立美術館が現在の場所に建てられたのは1885年のことです。デン・ハーグで1800年に設立されたナショナルアートギャラリーはそれまで、アムステルダムのダム広場にある王宮や、17世紀武器商人の館トリッペンハウスなどを転々としていました。美術館専用の建物が用意されたのは、ヨーロッパ各国で近代都市計画への関心が高まり始めた19世紀末のことです。
1876年、オランダを代表する建築家ピエール・カイパース(1827-1921)によって、当時まだ草地だったミュージアム広場に、ネオルネッサンス様式の美術館が設計されました。美しいレンガ造りの建物は、同時期に近接して建てられたアムステルダム市立美術館やコンセルトヘボウと共に、近代都市アムステルダムの象徴となりました。【写真:ネオルネサンスとゴシックを融合させた折衷様式のアムステルダム国立美術館(1885年)Photo credit: Rijksmuseum】
創設から118年を経た2003年、建物の老朽化と、これまでの増改築による館内の迷路化に伴う改修工事が始まりました。工事の主眼は、建物構造の現代化と、カイパース建築の復元です。工事にかけられた費用は3億7千5百万ユーロ(約5百億円)。アムステルダム国立美術館にとって、世紀の大規模改修となりました。
過去100年の増改築の痕跡が取り払われ、アムステルダム国立美術館は創建当時の姿を取り戻しました。迷宮のようだった展示室はシンプルで分かりやすいものになり、かつてカテゴリー別に展示されていた作品は、世界史・オランダ史の流れに沿って鑑賞できるようになりました。リニューアル後は、120点を越える新収蔵作品もお披露目されています。
>>photo gallery リニューアル後のアムステルダム国立美術館
カイパース建築の復元
19世紀の巨匠カイパースは、美術館の外観と内観に統一感をもたせるため、インテリア装飾や庭園の全てを自らデザインしていました。当時のアムステルダム国立美術館は、優美な装飾と色鮮やかな壁画に彩られていたのです。ところが1903年以降、華美なインテリアが作品鑑賞を妨げるという理由で、壁は白く塗りつぶされ、装飾も少しずつ取り外されていきました。モダニズムの潮流の中で、館内はすっかり質素なものに変わってしまったのです。
今回の修復工事では、壁や床、天井の装飾が見事に修復・復元されました。「大広間」の象嵌モザイクの床には、豪奢なステンドグラスから柔らかい光が降りそそぎます。17世紀の巨匠たちによる傑作が並ぶ「栄誉の間」も、半世紀ぶりに壮麗な姿を取り戻しました。1958年の工事で白く塗りつぶされてしまった天井と壁には、植物モチーフや幾何学模様の装飾がほどこされ、ルネットには寓意画や芸術都市の紋章が描かれました。>>photo gallery
最大の見どころはやはり「夜警の間」です。アムステルダム国立美術館の聖域ともいえるその展示室は、レンブラント(1606-1669)の代表作『夜警』を掲げるために、カイパースによってデザインされました。アーチ形の天井を支える柱の上には、「朝」「昼」「夕方」「夜」と、陽光を象徴する四つの女像柱が黄金に輝き、光と影の巨匠と呼ばれたレンブラントの功績を讃えています。【写真:カイパースにより祭壇のイメージでデザインされた「夜警の間」Photo credit: Iwan Baan. Image courtesy of Rijksmuseum】
>>episode 4 レンブラントの『夜警』の引越し
市民のための、市民による美術館
修復中、期せずして主役となったのは美術館のエントランスです。これまでは本館北側のシンゲル運河に面していましたが、今回の工事で本館中央を突き抜ける通路部分に移設されることになりました。通路上、すなわち公道上にエントランスを造るという、大胆かつ機能性に富んだデザインでコンペに優勝したのは、スペイン人建築家のアントニオ・クルス(1948-)とアントニオ・オルティス(1947-)です。
ところがデザイン案は市民に公開されるやいなや、アムステルダム市南区の地区委員会やサイクリスト協会から猛反発を受けました。1日に1万3000台を超える自転車が通路を利用しており、通路上のエントランスは交通の妨げになると反対意見が上がったのです。アムステルダム国立美術館は市の「城門」として愛される建造物であり、中央通路は市民に長年親しまれた生活道路でした。
理想的なデザインを志向する建築家、かたや生活道路を守りたいアムステルダム市民。その議論は平行線をたどり、やがて工事は中断されます。最終的に建築家側が譲歩し、通路” 脇”にエントランスを設置する妥協案で事態は収拾されました。
建築家と美術館は、研究センターのデザインでも妥協を強いられています。未来的な外観が景観を損ねると市民に反対され、建築規模が大幅に縮小されました。斬新なアイディアでコンペを勝ち抜いたにも関わらず、平凡なデザインへの変更を余儀なくされたクルスとオルティスは、「民主主義の悪用だ」と、半ば呆れた様子でした。
「神が地球を創ったが、オランダはオランダ人が造った」という格言があるように、堤防を建設して国土を拡大してきたオランダ人には、自分たちが国や街を築いてきたという自負があります。公共施設のプランは市民によって徹底的に議論され、コンペの最優秀案が見送られることも稀ではありません。伝統と革新の双方を尊重し、残すべきものと壊すべきものを見極めるのがダッチスタイル。アムステルダム国立美術館には、新旧オランダの心地よい調和とコントラスト、そしてアムステルダム市民の愛情が感じられます。
>>3.ゴッホ美術館 開館40周年、ゴッホ生誕160周年 に続く
>>目次 に戻る